感傷を野放しにしておくことは危険である。それは『NHKにようこそ!』の佐藤くんのような、ひきこもり傾向のある人間には、極めて大きな問題を生み出す。感傷は意識的に管理される必要がある。

特に内向的な人間にとって、そして多かれ少なかれ全人類にとって、最も強い影響を与えるメディアは、本人の心である。心は映画のスクリーンのようなものだ。人は想像力により、どのようなものでも心のスクリーンに映し出すことができる。

本稿で問題にしている『過度の感傷に浸る』行為とは、それを観ることによって、自分を弱めるような力を持つイメージに、惰性的に意識を向け続けることを指している。

人間は、この心のスクリーンを、日々の生活の中で長時間、見つめ続けている。そのため、そのスクリーンで上映されているイメージから、強い心理的影響を受ける。

よって、このスクリーンに上映されるイメージと、それへの意味付けを意識的に選択することは、自分の望みの人生を創造するにあたり大きな意味を持つ。

失敗法則その6.惰性的な感傷に浸る

佐藤くんはよく高校時代を思い出し、自動的にセンチメンタルな気持ちになる。佐藤くんは、先輩のことや山崎のことをよく思い出す。その際、佐藤は過去のイメージに、漠然と、自動的に、ネガティブな意味付けをし、それを見ている。例えば以下のような。

  • 美しいものは儚い
  • 楽しい時間はすぐに過ぎ去る
  • 取り返せない失敗を自分は犯した
  • もっと良い選択肢があったはずだ

このようなネガティブな意味付けとともに過去のイメージを眺めたとき、そのイメージは人の心を弱める力を持ち始める。

実はそのイメージそれ自体には、特定の意味合いは無い。佐藤くんが、ネガティブな意味付けを、無自覚的にであれ行っているがために、その過去の記憶のイメージは、否定的な意味合いを持つようになったのである。

過去のイメージを否定的に眺めることは、自分の過去に対して、失敗というレッテルを貼るという行為に他ならない。そのような方法で、過去を眺め、感傷に浸ったとき、『自分は失敗している』という感覚が心の中で強まっていく。それは将来の失敗を生み出す。なぜなら『過去に失敗した者は将来も失敗するであろう』という論理的な思考が無意識下で働き、それが自分の人生の物語を作っていくからである。

このような失敗から失敗への連鎖を食い止めるためには、過去のイメージへの否定的な意味付けをやめることだ。それが今回の成功法則である。

成功法則その6.過去を書き換える

過去を書き換える?

そんなバック・トゥ・ザ・フューチャーみたいなことができるのだろうか。そんなドラえもんみたいなことができるのだろうか?

もちろんできる。ただそのためには、惰性的な物事の見方を一時的にでも、止める必要がある。そして、今まで確定していると思っていた、物事への意味付けを、一旦、脇に置いて停止させ、まるで初めてその物事を観るかのような、無垢な視線でそれを見つめる必要がある。それが何を意味するのか、まだ何も知らない幼子のような新鮮な視点で、過去の記憶を見つめてみる必要がある。

試しに佐藤くんの過去を、そのような新鮮な視点から眺めてみよう。そうすることで、昔から現在に至るまでずっとダメダメだと思われていた佐藤くんの過去の記憶の中に、たくさんの宝石のような成功体験が秘められていることに気づく。

まずひとつ、すぐに思いつく成功体験としては、山崎のいじめを止めようとして具体的な行動を起こしたことだ。

その行動は、いじめっ子たちに返り討ちに合うという結果を導くが、その結果も含めて、肯定的な意味合いをその出来事の中に観ることができる。というより、これはもうはっきり言って単純にカッコいいとしか言いようがない。見知らぬどうでもいい男(山崎)を助けようとして、大勢の人間に立ち向かっていく勇気は本当に凄いと思う。

次に見出すことが出来る成功体験とは、文芸部の先輩とたくさんトランプで遊ぶことができたという点だ。後年の、感傷的な佐藤の視点からは、『もっと深く仲良くなることができたのではないか』という後悔とともに想起されるこの記憶であるが、仲は深ければいいというものではない。適切な距離感というものがあるのであり、適切な楽しみ方というものがある。

先輩と夕日の差し込む部室でトランプをやって過ごした時間というものは、とても優雅な時間の使い方である。まるで、リゾート先で、街をあくせく走り回ることなく、気の合う友人と、静かなビーチでゆったりとした時間を味わうかのような。

このような贅沢さを味わう事のできる心のゆとりは、美しいものや、楽しいことが、無条件に、いつでもに自分に与えられるという、豊かさについての潜在的な確信に由来している。

また、そのような優雅な時間の使い方を佐藤くんがすることができたのは、彼の中に凄く成熟した、満ち足りている何かが、すでに当時から存在していたということを意味している。

このように、過去に対する新たな意味付けを発見するごとに、過去のイメージは書き換わっていく。惨めな失敗の連続として感じられるものから、たくさんの勇気の表現や、多くの潜在的な知恵や、満ち足りた素敵な時間に溢れた、成功の日々へと、少しずつ書き換わっていく。

そして、このように、記憶への意味付けを、意識的に選択することにより、その人がどのような人生を生きて来たか、そして、これからどのように生きていくのかかが、心理的なレベルで変わっていき、それはいずれ目に見える物理レベルにまで大きな変化を起こしていく。

Sunshine on wood table with light and shadow