願望を現実化させるには、自分の思考を変える必要がある。なぜなら自分の思考がその世界の密度によって規定される特定のディレイタイムのあとで、自分の外側に現実化されるためである。

夜に見る夢の世界は密度が薄いために思考が現実化されるまでのディレイタイムは限りなくゼロに近い。そこでは考えたことが即座に現象化する。「何かこのあと怪物がでてきそうだ」と思った瞬間、そのような夢のストーリーが夢見る者の前に現れる。その夢から目覚めた後のこの世界も本質的には夢の世界となんら変わることのないシステムで動いている。それは「思考が現実化する」というシステムだ。

しかしこの世界の密度は夢の世界よりも遙かに大きいために、思考が現実となって自分の前に現れるには、長いディレイタイムが必要となる。そのためにこの世界で生きるものは、自分の思考内容と、自分が体験する出来事の間に明確な相関関係があることを認識することができない。

また、もし人が「自分の思考こそが自分の世界を作っている」という認識に至ったとしても、それで一晩のうちに世界が変わるわけではない。むしろそこからが大変な一仕事の始まりである、と言える。

なぜなら世界を変えるには思考を変える必要があり、思考を変えるには自分の思考回路を変える必要があるからである。それははっきり言って大変な仕事である。

思考回路は思考の背後に横たわっている。
あたかも無数の数学の定理の土台に特定の公理系が存在しているように。
思考回路を変えるとは、ひとつの公理系から別の公理系へと引っ越すような大仕事である。
思考回路を変えるとは、ひとつのOSから別のOSへとコンピューターの中身を入れ替えるようなものである。

表面に浮かんでは消える刻一刻の思考は、それらの土台として存在している思考回路から生じている。世界を変えるにはそれを変える必要があるのだ。

そして、何かしらの方法によって、もし人が自分の思考回路を自分の望む思考回路に取り替えることに成功したなら、人はその思考回路から生じる世界を体験するだろう。その思考回路が無条件の愛と喜びと楽しみと豊かさに基づいた思考回路であれば、人はそのようなものが無条件に自分の周りに生じる世界を体験するであろう。

この世界はまだちょっと暗い。それは暗い思考回路がこの世界の基本思考回路としていまだに残存しているからである。だが人は明るい思考回路、気持ちのいい思考回路を選ぶことができる。苦渋に満ちた顔で苦しみを味わって何かを学ぶ必要はもうない。苦痛の多い世界、それも一つの夢であれば、明るい世界も一つの夢である。ただ苦しみに満ちた暗い夢は発展性に乏しく、それはオワコンであるということだ。一方、喜びも楽しさも豊かさも上限は無く、それは無限に発展させることができるために、人の意識がそれを楽しむためのコンテンツとして、そのポテンシャルは天井知らずだ。

自分が生きている世界をスライドさせるために必要なのはまず望むことである。新たな世界を。その望みによって新たな思考回路が生じる可能性が心の中に芽生え始める。そして、もし夢の中でモンスターに追われているなら、そのときに必要なのは、これは夢だと気づくことである。これは夢だと気づき、もう恐ろしい夢を見ることを望まず、何か別の、もっと面白い夢を見ることを望むのであれば、そのとき、夢みる者は新たな夢を形成することができる。そのための力は意識を持って存在している者が生まれながらに持っている当たり前の力である。その力を使えるようになることが、重い荷物、すなわち古い思考回路を捨てて超人になるということであり、覚醒するということであり、悟るということであり、アセンションするということである。