みなさんはチャクラをご存じだろうか?
人によってその言葉は、忍術を使うための力を表しており、また別の人にとってはオーガニック・マシンを動かす力を表している。そのように、ジャパニーズ・サブカルチャーにおいては、何かこう、未知の格好いい力を表現するために使われがちなチャクラという言葉が、現代スピリチュアリズムの世界ではどのような意味を持っているのかをちょっとここに書いてみよう。
と思ったが面倒になった。
チャクラについて詳しくはググって調べてください。適切なタイミングで、あなたに必要な情報があなたに与えられることでしょう。
チャクラとか、そういうトピックで私がいいたいのは、とにかく、目に見えないエネルギーが存在し、そのエネルギーが、人間の心と体を作っているということである。そのエネルギーの集合する場所が肉体に重なっていくつか存在している。それをチャクラなどと言う。
主なチャクラは七つある。
胴体の一番下、尾てい骨のあたりにある第一チャクラから、頭のてっぺん、頭頂部のあたりにある第七チャクラまであって、それぞれ一つずつ、違った機能を持っている。
尾てい骨あたりにある第一チャクラは基本的な生命力や地球とつながる力に関連している。
膀胱、子宮のあたりにある第二チャクラは肉体的エネルギーが沸き出す場所であり、肉体的なコミュニケーションを司る場所でもある。
お腹にある第三チャクラは社会的な力や感情を司っている。
胸にある第四チャクラは愛をやりとりする場所であり、ハートが指し示す情熱を感じさせる場所である。
喉にある第五チャクラは音の振動によってコミュニケーションしたり、何かを創造したりする場所である。
眉間にある第六チャクラは高次元の知覚のための場所である。
頭頂にある第七チャクラは魂の世界、霊の世界と、この肉体と人格をつなぐのゲートであり、それにより四次元、五次元、およびそれ以上の次元に意識をつなげることが可能となる。
このようなエネルギー・センターが、誰の中にもある。
これは訓練によって意識的に知覚することが可能になるが、無理矢理な訓練は、これらエネルギー・センターへの不自然なエネルギーの集中を招きがちであり、あまりというか、まったく推奨されない。
そんなことをしなくても、自然に、なんとなく、わかるようになっていくのではないだろうか。近年では、自己の中の目に見えないエネルギーを感じることは、とても簡単になっており、私にとっても容易というか、日常的なことである。
(ちなみにここでいう『目に見えない物事』という言葉で私が指しているものは、いわゆる幽霊とか、霊感とか、そういったものとはほとんど関係ないので注意して下さい。むしろそれよりも、例えば素晴らしい何かの創作物を味わったときに感じる、背筋を走る電流のような感覚や、胸のトキメキのような感覚を表しています。通常、そういった感覚は、制御不可能で、たまに何かのはずみで人間にやってくるもののように思われていますが、目に見えないこれらのエネルギーを意識的に知覚し、それを意識的に扱うことは可能だということです)
こういった目に見えない物事を語ることは、テレビのアニメについての話題を語るのと同等の、日常的かつ面白いアクティビティである。もっと、こういった面白いことについて語り合える人間が増えればいいと思って、チャクラについての文章をここに書いている。
だが、私が何かを熱く人に勧めようとすればするほど、人はそれを嫌いになる、という現象が、私の人生の中ではよく起こりがちである。
好きだったアニメーション作品のことを他人に力説すればするほど、人との壁が出来ていくというような体験を、これまでに私はたくさん経験してきた。
その経験によって賢くなった私は、自分の趣味のことはさり気なく、ニュートラルな気分で、そっと差し出すぐらいのフィーリングで、人に紹介すべきである、という、人間関係における大切な知恵をすでに学んでいるのである。
だからチャクラについての話題もこれぐらいにしておきたい。
ちなみに私がチャクラや目に見えないエネルギーの存在を、初めて、しかしもうこれ以上ないぐらいに体感したのは、アメリカのモンロー研究所での、ゲートウェイ・ヴォエッジというセミナーでの『エネルギーの球を想像で作り、それで遊んでみよう』というワークでのことであった。
あれはリーズナブルで死ぬほど楽しいセミナーであった。食事もおいしかったな。
夜には、庭にある、あの巨大クリスタルの周りを散歩した。
すると、そのクリスタルが発している精妙な振動が伝わってきた。
それまでクリスタルはただの物質と思っていた私だったが、その日の夜は、物質が発している振動を心によって知覚することが自然なことだと感じられ、実際、私はそうしていた。その振動は私の中で響いていた。セミナーの最終日のお昼に、あの緑の庭でゆったりとした時間を過ごしている私の中でも、その振動はよりクリアにすべてを貫いて響きわたっていた。それは心の底の方でずっと鳴っていた音だった。空が、雲が、緑が、飛行機が、自分の身体と心が、その振動と共鳴していた。
その音は時間と空間を超えて、無限の中で、響き続けている音だった。
セミナーの最終日、あの緑の美しい庭で、私はその振動と一つになりながら、頭の片隅、論理的な思考を得意とする部分で、こう考えていた。
『明日、飛行機に乗って日本に帰れば、この気分、今のこれ、この感覚は忘れてしまうのだろうな。自分も世界も振動であり、それは時空を超えてすべてとひとつにつながっている、という気づきは、すぐに忘れてしまうのだろうな』と考えていた。
そして実際、私は翌日、日本に帰り、すぐにあのとき気づいていたことを思い出せなくなってしまうのであった。
だが思い出せなくなっても、目に見えないものが存在していないわけではなく、いつでも目に見えないエネルギーがすべてを繋いでいるという知識を、私は理屈の上では、いろいろな本などから知っていた。その理屈の上での知識が、ある日、ある時、完全なる実体験として、自分の生活の中に生じるひとときがある。
そのひととき、私はそれそのものになっている。
それは時間と空間を超え、
肉体を超え、
次元を超え、
生と死を超え、
善と悪、光と闇を超え、
すべてを愛によって繋いでいる。
だから、あのモンロー研の庭で、振動と一つになり、目に見えないエネルギーと一つになり、万物と一つになるということが何なのかを体験していた私と、今この駅前のスタバでキーボードを叩いている私も繋がっている。
繋がっているが故に、私たちは時空を越えてエネルギーや情報を送受信できる。
第四チャクラを使って、愛のエネルギーをあのときの自分に送ることが出来るし、第6チャクラを通して過去のあの時空のエネルギーパターンを認識することもできるし、第七チャクラを通して意識を高次元に上昇させ、過去と今の自分を繋ぐそのライン全体を祝福することもできる。
また、そのラインは、より大きな視点で見てみれば、地球および全人類と繋がっており、しかも過去、現在、未来と繋がっており、しかもすべての平行現実とも繋がっており、かつまた高次元世界とも繋がっているのである。
その光のライン、光の多次元グリッドワークは、ちょっと前までは、各部分が断線しており、このグリッドワーク上の意識存在は、きわめて限られた範囲しか知覚することができなかった。
しかし今、この光の壮大な構造体の、断線していた部分の再接続の作業は、だいたい終了している。
それは言ってみれば、人類補完計画が、全員、溶けて酷いことになるような大破滅を経ることなく、いつの間にか、水面下で、しめやかに、非破壊的に、そっと完了していたようなものである。
今の生活の中に、昨日までとは違う何かを見つけてみて欲しい。
そうすれば、ちょっとしたフィーリングの中に、ささいな閃きの中に、高次元のきらめきが輝いているのを発見できる。