想念形態(Thought Form)は、感情と思考が組み合わさって出来たエネルギーパターンである。

それは色眼鏡、あるいはフィルターとして作用し、現実を歪めて見せる作用を持つ。

共感覚的知覚能力を持つものは、自他が持つ想念形態を、まさに目に見えるエネルギーパターンとして認識することができる。想念形態の知覚体験をメインモチーフとした『ホムンクルス』という漫画が存在する。また、最近の『刃牙』シリーズも、この想念形態という概念が物語の根幹に関わっている。

『ホムンクルス』では、想念形態に変化を起こすことによって、その想念形態の持ち主の精神構造にも変化を生じさせること、すなわち想念形態へのアプローチを介したヒーリングが描かれていた。『刃牙』では、想念形態を意識的に作り出し、それによって自他の精神へのダイレクトな影響を生み出すこと、すなわち創造とそのテレパシー的伝達が描かれていた。

そのように近年では想念形態という概念の一般的認知はますます高まっており、カジュアルな漫画のテーマとしても広く取り上げられるようになっている。事実それは我々の日常生活にとっても極めて重要なコンセプトである。

想念形態は、現実をこのように知覚しようというルールである。それは現実縮小装置として働くこともあれば、現実拡大装置として働くこともある。それは我々の眼に貼り付けられたVRマシーンのようなものである。しかしそれはどのようなVRマシーンよりも、我々の存在のすぐ近くに設置されている。両目よりも近い場所に、神経よりも、脳よりも近い場所に、すなわち我々の意識そのものに貼り付けられているフィルターである。

そのため、普段、自分の顔に鼻が付いていることを意識することはないように、我々は普段、我々の意識に想念形態というフィルターがかけられていることを意識することは出来ない。それは自分と一体化しているように感じられ、自分という存在そのものであるように感じられる。そのため普段、肉体内の神経の働きを意識することができないように、想念形態が現実認識を歪めている働きを意識することは出来ない。

想念形態というフィルターがあるために、我々は現実そのものを認識することができない。我々が認識できるのは、想念形態というフィルターを通して歪められた現実だけである。

想念形態にはそれぞれ特有のルールがある。そのルールに従って、現実認識は特定の歪みが与えられる。存在そのもの、第一質量、物自体、そういった、想念形態によってフィルタリングされ加工されていないナマの現実があるとする。それが、想念形態というフィルターを通ることによって、特定の色付けをされたリアリティに加工され、その想念形態を持っている者の意識上で展開され、その意識によって体験される世界となる。

創作とは想念形態を生み出すことであり、それを他者に送ることである。

想念形態は、ネガティブなものとポジティブなものに区分けすることができる。

現実認識をより大きく歪め、その歪みを固定化しようとする作用を持つ想念形態が、ネガティブな想念形態である。

逆に、現実認識の歪みを修正し、その歪みを解放し、流動化しようとする作用を持つものが、ポジティブな想念形態である。

ポジティブな想念形態は、いわば、海中から水面へと上昇するための浮袋のようなものである。

ネガティブな想念形態は、より深い海の底、海溝の奥深くへと潜っていくための鉛の重りのようなものである。

海の底は光が差さず、水圧は高く、そこで生きるのは何かと大変な場所であろう。一方、水面とその向こうにあるはずの陸地は、暖かく、空気があり、そこで生きるのは快適そうである。

だが、おそらく、意識は冒険を好む。

とてつもない海の底に潜ってみたい、そこで生きるのはどんな体験なのかを身をもって体験したい。そんな日もある。そんなときは重りを身体にきつく巻きつけて海に飛び込むのだ。そして、海の底での体験に飽きたら、重りを外して海面へと上昇することができる。

だが、海面へと一気に上昇すれば、急激な水圧の変化によって体調に悪影響が生じる可能性がある。そこで、海面への上昇は、一歩一歩、ちょうどいいペースで行われる必要がある。

少しずつ、心の中の重りを外す。

そして、重りを外して空いたスペースに、少しずつ、心の中に、軽さ、暖かさ、光を取り入れる。

そのように、心の中に溜まったネガティブな想念形態を、ポジティブな想念形態へと入れ替えることによって、意識は少しずつ、上へ上へと上昇していく。上に上昇するたびに、心の中に、こんなにも沢山の重りが詰まっていたことに気づいて、その意識は驚くかもしれない。また、あまりにも長い間、その重りを身につけていたせいで、それは完全に自分自身に癒着し、何をどうしてもその重りを取り外すことが不可能に感じるかもしれない。

だが、安心して欲しい。何かが不可能かもしれないという観念と、それが生み出す感情、感覚、それ自体が、ネガティブな想念形態の産物なのである。

現実の本質は自由であり、今その本質は一呼吸ごとに確かなものとして感じられてゆく。